mosyoesyoe's blog

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温故知新~戦後70年

退官された大学院の指導教官に押しかけで会いに行き、昔話に花を咲かせた夏休み。

戦後70年ということで、新聞マスコミいろいろと記事が出ています。私が見たのはほんの一部ですが、心に突き刺さった言葉

シンガポール・ラジャラトナム国際問題研究所レオナルド・セバスチャン准教授

談話で、後の世代に「謝罪を続けさせる宿命を背負わせてはなりません」とあるのは、首相の強い思いだろう。ただ、それに続く「過去の歴史に真正面から向き合う」とは果たしてどういうことなのか。おそらく、日本自身がまだその答えを出せていないのではないか。

(読売新聞2015年8月15日)

浅薄に答えるなら、「本当にあった事実を事実として捉え、それに目を背けない」ということであろうか。

この夏、大学院時代を思い出すきっかけがあって、「東方學」(第百三十輯 平成27年7月)に「先學を語る ー溝口雄三先生ー」という記事が載っていました。私も授業を受けて大変刺激を受けました。すばらしい方でした。その先生がこんなことを言われていたのを思い出しました。

日中間の戦後の問題は大変難しい。日本人の戦争体験がばらばらだからだ。朝鮮・中国に侵略したのも日本だし、原爆の被害を受けたのも日本。ソ連に追われ大変な思いをして来た人も多い。戦後、アメリカに占領されアメリカに負けたという意識の人も多いだろう。中国に負けたという意識は逆に薄いのではないか。そんな様々な戦争体験をしてきた人の集まりが一括りに日本人にされている。

記憶で書きましたので、あくまで私がそう理解したという話で勘弁を。

歴史認識と言っても、それぞれの体験が大きく異なっていて、それに対する印象も大きく違うでしょう。そして、その人たちはまだ歴史の証人として生きています。政治の上では「その問題は解決している」「終わった話だ」とされるのは、それは納得のいかない話だと思います。それぞれの中では終わらないで続いているはずです。政治の俎上に再び上がることについては私は否定的ですが。

「語り継ぐ戦争」も人それぞれ。それがすべて混ざり合って、日本人が共通して「あの戦争」と言えるようになるのでしょうか。そして隣国と「あの戦争」で同じものを指しながら話し合えるのでしょうか。

「日本自身」がまだその答えをだせていないのではないか、という指摘は、溝口先生の言われていた一括りにできない「日本人の戦争体験」が、未だに共通化されて「日本の戦争体験」になっていないことを見抜かれた、もしくは理解してもらえたことの現れなのかもしれません。